ADHD(ADD)からくる鬱で、1日20時間睡眠になった話

1日20時間ひたすら眠り続ける日々

大学を卒業し1年の間に、2つ職を変えたものの、どっちにも馴染めずに…やめてしまった23歳の冬。

いよいよ私の1日20時間睡眠が始まりました笑

明らかに過眠症です。

それまでの話はこちらの“ADHD(ADD)の私が鬱でベットから起き上がれなくなるまで”に書いてあるのでもしよければ読んでみてください。

この時期はもう本当に生きる気力を失っていました。

周りの友達は就職して、あーだこーだ不平不満を言いながらもなんとか一生懸命やっているのに、どうして私は

何をやっても耐えきれず、すぐに辞めてしまうんだろう…。

本当にクズ中のクズだな。何にもできないくせに、気力と根性もない。

そうゆう人に残されたせめてもの救い、愛嬌すらない。

私、本当に何にもないじゃん…。。

そう思うと自然と涙がこみ上げてきて、ずっとベットで泣き続けていました。

あぁぁぁああああ!!と思いっきり奇声をあげて枕をぶん殴ったかと思うとずーっと天井を見上げたまま、涙だけがシトシトと流れたり。

この時期の私は、まだADHD(ADD)の傾向についてもよくわかっていなかったし、もしかしたらそうなのかもな…?

くらいだったので病院にも行きませんでした。

それに病院に行ったところで「違いますね。」と言われたらそれこそ、ただ怠けているだけの人になってしまって

自分のことを、どう受け入れて良いのかわからなくなってしまうんじゃないか…と言う、怖さもありました。

何もかもネガティブな捉え方しかできなかったのです。

一日中、唸っているか、寝ているか、泣いているかのどれかでした。

当時は実家だったので、家族は本当にたまらなかったと思います。

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その時の私の1日のスケジュール

ベットの上でのたうち回る生活が3日間ほど続いたかと思うと、その後は、死んだように一日中、ベットで眠り続けました。

ADHD(ADD)の鬱からくる、過眠症です。

当時の私は髪の毛はボッサボサで、まぶたは常に泣き腫らしてパンパンで、ほとんど食べていないのに、なぜか体重は10キロ増え。

もうただのネガティブな豚の丸焼きでした。笑

1日の流れは、こんな感じです。

 

  • 14:00 → 起床・泣く
  • 15:00 → 何とかお風呂へ
  • 15:30 → ちょっとだけ食べる
  • 16:00 → 就寝
  • 02:00 → 目が覚めて泣き出す
  • 03:00 → トイレに行って泣き続ける
  • 04:00 → 泣き疲れて寝る
  • 14:00 → 起床・泣く

 

こんな生活を送っていました。

どうしようもない自分のダメさとこれからもずっとこれが続くんだろうな…という絶望感。。

そして友達からの連絡も、世間で起きていることも何一つ自分の中に、情報を入れたくなかったので携帯の充電はオフにして見えないところにしまいテレビのコンセントは抜きました。

窓もピシャッと閉めきって、何もかもをシャットアウトしたのです。

そうすることしか、できませんでした。

もう、これから自分が何をやったっところでバカにされて精神ズタボロになって行く姿しか想像できなかったし

とにかく人と関わるのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。

きっとこのまま一生、こんな風にして時が過ぎて行って、あっとゆう間に歳をとっておばさんになって誰からも相手されずに死んで行くんだろうな…と。

そう思ったら涙が止まらなくて。。

起きている時間を少しでも減らそうと脳が勝手に思ったのか、ただただ眠り続けました。

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般若到来の日

「いい加減にしなさいよ。」

過眠症生活が始まって2ヶ月ほどたったある日の朝。

ただならぬ気配に目を開けると部屋の入り口に、般若みたいな顔をしたおばさんが立っていました。

やばい。と思った頃にはもう遅かったのです。

バッッッサァァァアアアア!と布団を剥ぎ取られたかと思うと「てめぇ、いつまでそうしてるつもりだ、この野郎。」と一言。

…あれ。怖い。

あんだけ死んでるのも同然の生活をしてきて生きる気力を失っていたのに…怖かったのです。

「もう、学生じゃねぇんだよ、馬鹿野郎。お前いくつだ。」

「バイトでも何でもいいからとりあえず外出て働け。馬鹿野郎!!!!」

「やりたいことだ?フザケンナ。自分で生活できるようになってから言えこの野郎。」

「イ・エ・ニ・カ・ネ・イ・レ・ロ」

ついにブチギレたのです。我が家の般若が…。

般若の言っていることは、何一つ間違ってはいませんでした。

でも…そんなことは百も承知で、それでもどうしようもないからこうなっているわけであって…。

「…そんなことは、わかってる!!ぶえっ」

「…それでもどうして良いかわからないから!こうなって。。ぶえぶえっ」

「本当にもう…どうして良いかわから…ぶえっぶひっ。」

私は、豚のように鳴き始めました。

ここから1時間ほど、罵倒された後、般若が階段を降りて行く音が聞こえました。

…ようやく般若に剥ぎ取られた布団を取り戻した私はまたグズグズと泣き続け、気づくと深い眠りについていたのです。

が、安心したのもつかの間。

その日を境に、般若は毎朝毎朝、布団を剥ぎ取りに来るようになったのです。

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パソコンを開く

このままだと近い将来、大事な布団が可燃ゴミの日になくなると確信した私は

深夜2時になると、パソコンを開いてできそうなバイトを探し始めました。

そうだ。なんでも良い。

もうなんでも良いから、この家から一刻も早く出ないと…と。

もう、何にも言われたくない。

それだけの思いで探し続け、やっと見つけたのはクリーニング工場でのバイトでした。

接客などで、人と関わるのはきつかたのでできるだけ一人で黙々とできるタイプのものに応募してみたのです。

 

バイト開始

バイトは意外とあっさりと雇ってもらうことができました。

仕事の内容としてはクリーニングの工程が、全てが終わった綺麗なYシャツを輪ゴムで5個ずつにまとめて、どこの店舗に運ぶものか小さい紙に記入する言う、とてもシンプルなものでした。

ただ、この“紙に店舗名を記入する”ということができる人がこの工場にはあまりいなかったのです。

なぜなら働いている9割がフィリピン人かベトナム人だったからです。

なので日本人というだけで、そこでは大変重宝されました。笑

廊下を通るたびに「え??もしかして日本人?」「良いなぁぁ!漢字読めるじゃん!」「こっちにも入れてくれよ〜。」

こんな会話が聞こえてきます。

生まれて初めて人から貴重な存在だと思ってもらえた瞬間でした。笑

こんだけ日本人に生まれてよかったと思ったことはないです。

こんな流れで、ADHD(ADD)からくる鬱症状で、過眠症に陥った私はなんとかクリーニング工場のバイトをきっかけに外に出ることができました。

続きはこちらのADHD(ADD)で鬱っぽくなった私がクリーニング工場でバイトした話という記事に記載してあります。

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ABOUTこの記事をかいた人

ADDのシンガーソングライターです。現在は得意なことを伸ばそうと音楽活動をしながら、このサイトの運営をしています。 大人のADHDで悩む全ての方に、私の体験談や・対策・辿ってきた道のりをお伝えし、少しでも前向きに生きて言ってもらえたらと思っています。